2021年02月19日
ひとり暮らし
一人暮らしというと何か寂しく、孤独のように感じられるが決してそうではありません。両親を送り、愛犬も送り、8年が経ちました。最初のうちは寂しかったですが段々慣れてきました。
生活の上で、健康には気を付けています。特に食事には気を付け自分で作ります。材料は小分けにし、煮物等も冷凍できるものは冷凍保存します。身体に良くても嫌いなものは無理には食べません。それに代わるものを摂るようにしています。その方がストレスが溜まらないと思うからです。運動はラジオ体操やかかと落とし、あとは積極的に家事をやり身体を動かしています。
地区の行事には出来るだけ参加して、ご近所ともいい距離感で付き合っています。親戚、特に従姉妹たちとは連絡を取り合っています。息子とは電話、ラインで月、1.2回連絡を取っています。
地元にいるので友達、特に同級生とは親しく付き合っています。基本、何でも自分でやりますが、出来ないことは友達に助けてもらっています。電話を含めて一日三人とは話すようにしています。今のところ健康には問題ありませんが、いつ介護状態になるか分かりません。その時は一人暮らしでも在宅介護を望みます。”終の棲家”はやはり自宅が良いです。とは言ってもどうなることやら・・・。その日まで生かされていることに感謝しつつ、一人暮らしをエンジョイしたいです。
(ついすみ会員 杉森美知子)

2021年02月18日
楽しく生きる100年時代
Kさんから、終の棲家を考える会を発足するということで声をかけていただき私は、発足当初から入会しました。
今年74歳、夫婦2人暮らし。色々考えていかなければならない事がたくさんあります。「ついすみ家族会議~祈りのメッセージ」の寸劇で次男役を演じ、色々と考えさせられました。
石飛幸三氏の「平穏死のすすめ」の輪読は、順番が回ってくるまでドキドキします。でも、それが楽しく、幾つになっても勉強です。学生気分を噛みしめながら読んでいます。
会員の皆さんとの意見交換など心強く感謝しております。とにかく元気で楽しいのが一番。私は、人が好きで好奇心いっぱいです。日本の着物大好き、着物リメイク大好き。そして食べることも大好きです。人と人の繋がりや出会いを大切に「ありがとう」を伝え、これからも楽しく好きな事を自らの目的に向かって、前向きに進んでいきたいと思います。
(ついすみ会員 内田 聰子)

2021年02月08日
ついすみバッジに込めた願い
私の心打たれた講演は、2020年2月1日(土)島田市プラザおおるりで開催された「在宅医療・介護講演会」での中村伸一氏の講演です。氏は福井県国保名田診療所の所長として、地区唯一の医療機関の医師として地域医療を支え、一人で対応されている方です。
氏の好む健康の定義は「たとえ病気や障害を持っていても、生き生きと生きている、生きようとしている状態」とのこと。私は初めて会った氏に親しみを感じました。幸せに生きぬくために必要で大切なこととして挙げた五つの用語の中に「覚悟」がありました。殊の外、「覚悟」の二文字がその時印象に残りました。
それからというもの、私は日常生活の中で「覚悟」を問い続けました。ついすみに求められているものは煎じ詰めれば①知識 ②希望 ③覚悟。これから先の人生を幸せに生きていくために大切なキーワードであると思います。
私は端切れで会員全員のブローチをつくり、台座に①知識の花②希望の花③覚悟の花を配置しました。たとえ病気や障害を持っても、培った知識を活かし、明日への希望を持って、今日という日を精一杯生きる決意は揺るがない。このバッジは、発表会等の折り、会員の胸もとに着けられます。小さな花のバッジについすみの理念を込めました。
(ついすみ会長 十河惇子)

2021年02月08日
想う~謙虚に対応すべき時代
「終の棲家を考える会」が発足してはや2年が経過する。2年目は「コロナ禍」に見舞われ活動は自然と自粛。現在会員は21名、リーダーと事務局の活躍により素晴らしい会の運営を継続している。何事も「石の上にも3年」である。会員全員がそれぞれの体験をテーマに話題提供し、会員相互の絆を保っている。
会員全員の願望は「終焉を迎えるとき」は住み慣れた家で迎えたい・・・・・。 この事は口には出さずとも誰しもが考えていることではないかと私は思う。この願望を叶えるために会では「祈りのメッセージ」という寸劇を企画し、要望ある地域に出かけては老後の理想的な生活の在り方を啓発している。ただ各々の生活環境が異なっているため単なる理想論と捉えられてしまう傾向もあるが、会としては一石を投じることにより、皆が前向きに考えてくれることを願うばかりだ。
私の人生観は「何事においても自然体であれ」である。今日の「自然環境」の変化を見つめて見れば私は、2021年からは「全ての人類が反省する」年として謙虚に対応すべき時代に入ったような気がする。
また、私の疑問の一つである「自らが死を悟ったとき本当に自らが描いた人生の終末を迎えることが出来るのだろうか?」願望を満たすには、何はともあれ「家族や友と仲良く」する事ではないかと思う。
(ついすみ副会長 松本 洋)

2021年02月04日
2021年02月04日
学ぶことの大切さ
歴史上未経験の「人生百年時代」を迎えようとしています。訪れる新時代に求められる生き方や大切なことってどんなことだろうと、私は取り留めなく考えていました。
私は昨年9月、十河会長にお誘いいただき『ついすみ』に入会しました。月例会では会員が自信を持って意見を述べていました。何気なく近況を語り合う場面でも、互いの心の繋がりが感じられました。会の空気のさわやかさにほっとしたものです。
今でも鮮明に思い出すのは、入会した日の緊張感です。その日、私にとっては学生時代以降無縁の輪読をしました。『平穏死のすすめ』の輪読でした。私が決して手にすることのない本だったと思います。『ついすみ』入会により、この本は私の手許に置かれることになりました。入会に伴い私にも学びの機会が巡ってきました。感激です。何度も「ありがとう」と感謝の言葉で応えたい思いです。変化の速い今を生きるには学びが大切。漠然と将来の生活に不安を感じながらも、自分らしく毎日を大切に生きていきたいと思います。
会の運営に当たり、日頃細やかな心遣いを惜しまない役員の皆様には深く感謝しています。
(ついすみ会員 磯部 和子)

2021年02月03日
避けて通れない道
人はいつか天寿を迎える時が必ず来る。不慮の事故や自然災害で亡くなる方もいる。これは人間の宿命だ。
60代後半にがんの宣告を受けたが、素直に受け入れている。
それから9年後、新たな病状により特別の治療を受けている。深刻に捉えることなく、意外に平常心でいられる。先進医療技術のため、治療費も高額であり金銭的に余裕はないが、風邪を直すような軽い気持ちで治療に臨んでいる。年に1度、60年来の付き合いのある同級生4~5人と会っているが、これが最後という気持ちで出掛けている。
皆に「ついすみ」の活動を紹介した。自治会のサロンと違い、年齢に関係なく、いつも前向きに、自分たちで動き、精一杯の活動をしていることを話した。
「ついすみ」の会合の後いつも「心にゆとりと、教養面等で一つ得をしたなとか感ずるよ」と伝えると、みんな驚いていた。
会報「ついすみだより」を持っていけば良かったかな。
(ついすみ会員 山梨文男)

2021年01月12日
俳句と暮らし
6月4日は私の83度目の誕生日でした。コロナウイルスのために家族達は外出自粛で移動できず、それぞれにラインで祝ってくれました。気が付けば、夫や両親の享年をすでに超え、周りでは最年長になってしまいました。自分の歳を信じられない思いです。ここ数年に同級生二人と句友、知人を失い、喪失感に襲われています。特に趣味が共通で、旅行に行ったり、映画を見たりした長年の親友を失った痛手はなかなか癒やされません。“長寿とは人との別れ花の冷え”
夫が亡くなった直後には、“冬夕焼待つ人のなき家路かな“
”目覚めればやっぱり独り明け易し“ ”一軒に一灯のみの寒さかな“など孤独を詠んだ句ばかりでしたが、次第に、”青き踏む孤独を自由と思いたし” “稲妻や一人で耐へることに慣れ” ”自在なる独りもよけれ年暮るる“ という心境になれました。またこれからは、 “子に見せん八十路の暮らし青嵐” の気持で、自分を鼓舞して生きていこうと思っています。
現在の関心事はアフターコロナの日本です。若者が希望を持てる社会を願っています。
(ついすみ会員~山本その)
2021年01月12日
在宅ヘルパーとして思うこと
私は在宅ヘルパーです。仕事を通して、素晴らしい方に出会い、感動したことを紹介いたします。
K男さんは98歳。62歳の娘さんと二人暮らしです。私は6月23日、K男さん宅を訪問しました。挨拶後、「お体の具合は如何ですか」と声をかけました。するとK男さんは、「今日はわしが親に感謝する日だよ」と言われました。K男さんの真意が分からず戸惑いましたが、その日はK男さんの誕生日でした。
K男さんは、「母は特に苦労したからなあ」とつぶやき、母親のことを話し始めました。「これからの時代は教育が大事」がお母さんの口癖で、K男さんにも大学教育を願っていたそうです。農家の次男のK男さんは、志太中から早稲田大学に進み、大学卒業と同時に戦地に召集されたそうです。人生の苦労話を懐かしそうに話してくれました。貴重な人生の一コマ・一コマを受け、誕生日は親に感謝する日と言われたのだと思います。
高齢になられても母親の思いを心に秘め、一生懸命頑張っているK男さんの姿に心を打たれました。K男さんに出会えたことを幸せに思います。私はこれからの人生、明るく前向きに生きていきたいと願っています。(ついすみ会員~神谷陽子)

2021年01月12日
両親の介護
私の4人の兄弟姉妹は、実家で暮らす両親を15年間介護しました。この期間、4人は交代で実家に泊まり込みました。大変な時には、ショートステイを利用し、長い年月をどうにか切り抜けました。私が泊まった翌朝の5時、母は13年間の闘病を終えました。長年病気に苦しんだ最期は、実に静かでした。私はその時ふと、活動的な母が突然骨折した時、落ち込みがひどかったこと、4人で精神的サポートに努めたこと等を思い出しました。あれこれ振り返りながら気持ちの整理をつけ、時計が8時を回ってから、私はかかりつけの先生に連絡しました。
父は母の死から2年後、数え年100歳の生涯を終えました。その日は姉が泊まっていました。両親は最期まで自宅で過ごしたいという意思を私たちに伝えていました。生前の意思表明があったことで、私たちは両親の思いを叶えることができ幸せでした。措置の時代から社協さん、診療所の先生ご夫妻他、大勢の方々に支えていただいた15年間でした。
コロナで世界中が不安を感じている今、何より話し合える仲間がいることに感謝です。
(ついすみ会員~福田薫)
